新田金山城

一人で気ままに過ごせる時間が増えたことから、関東近郊を中心に日本100名城を集中的に訪れる計画を立てました。まず訪れたのは新田金山城群馬県太田市)です。

f:id:komo-jp:20171105142742j:plain

最寄り駅は東武線の太田駅。北千住から特急りょうもうで1時間程度で着きます。駅からはかなり遠く、感覚的に歩いて行ける距離ではないです。タクシーを利用して、まずは金山の麓にある「史跡金山城跡ガイダンス施設」を目指します。

見ての通り、立派な施設です。新国立競技場や高尾山口の駅を手掛けた建築家隈研吾さんの設計とのこと。

展示はコンパクトにまとまっており、新田金山城の概要がよく分かるものでした。1469年(文明元年)に岩松家純により築城され、いくつかの変遷を経て北条氏配下となり整備拡張される。その後、1590年(天正18年) の豊臣秀吉小田原征伐により廃城となる。

なお、ここには100名城スタンプは置いておらず、訪問者は山頂の休憩所を目指さなければなりません(元々、訪れるつもりでしたが)。

f:id:komo-jp:20171105143954j:plain

f:id:komo-jp:20171105144029j:plain山頂には車道沿いを歩いていく他、写真にある車道脇の山道を登っても行くことができます。山道には特に道案内もなく分かりづらいのですが、それっぽい道を辿っていくとたどり着くことができました。

f:id:komo-jp:20171105144331j:plain

山頂からは太田市が一望できる。ちょっと感動。

f:id:komo-jp:20171105144516j:plain

休憩所でスタンプを押した後にまず目に飛び込んでくるのは、印象的な形状をした日の池。新田金山城の象徴的な施設です。説明板によると、生活用水等に用いられたというより、祭祀的な意味合いが強い施設だそうです。

f:id:komo-jp:20171105145057j:plain

f:id:komo-jp:20171105145212j:plain

大手虎口の石垣。土造りの城が多いとされる東日本で、例外的な例としても紹介される新田金山城の特徴ともいえる部分です。

見事な石垣を丁寧に見ていく中、説明板にさりげなく「城郭研究では石垣と石積みは区別して使われる。」との言及があったのですが、この説明は北条氏の城について感じてた事を整理する上で大事なキーワードのように思います。

石垣と石積みの違いについては、「戦国の城」(小和田哲男著・学研新書)に以下のような説明があります。

「では、石積と石垣はどこで線引きされるのだろうか。私は、石垣の場合は、裏込石、すなわち栗石が使われているのに対し、石積はただ石を積みあげただけで、そのちがいを指標にしていたが、中井均氏によると、素人でも積めるのが石積で、石垣ともなると専門の石工、すなわちプロでなければ積めないので、そこで区別するという。たしかに、石垣の場合は「石垣を積む」とはいわず、「石垣を築く」といっているので、その可能性はある。」

今回の新田金山城八王子城等、北条氏の城は基本的には中世山城であり部分的に石積が用いられている、という理解が正しいのではないかと思います。

この後、西矢倉台下堀切などを見学し、下山。次なる目的地、足利氏館(鑁阿寺)に向かいます。