SOTA 雷電山(JA/TK-035)/ 青梅丘陵ハイキング

東京都青梅市雷電山(標高494m)でSOTAアクティベーションを行ってきました。今回は無線運用はそこそこに、青梅丘陵ハイキングコースの散策を楽しんでくる計画です。

アクセス

最寄り駅はJR青梅線軍畑駅(いくさばたえき)になります。軍畑駅から徒歩30分ほどで登山口(榎峠)に行くことができます。

雷電山(JA/TK-035)

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軍畑駅に到着しました。駅前には小さな売店といくつか自販機がありました。いつものように朝が遅く、この時点で11:30になっていました…。

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都道193号沿いを歩き、30分ほどすると登山口(榎峠)に到着します。

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登りは思いの他に急できつかったです。

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山頂に到着。軍畑駅から1時間ほどでした。

狭い山頂にベンチが2つ設置してありましたので、一つをお借りしてシャックとしました。雷電山はハイキングコースから少し外れているのですが、青梅丘陵の最高峰であるせいでしょうか、寄られる登山客も多かったです。ただ、山頂は木々に覆われ眺望は殆どありませんでした。ちょっと名前負けしている印象です。

1時間で山頂に到着したものの、この後、青梅丘陵ハイキングコースの完走を予定しているので、無線運用も手短に済ませます。これまでSSBでの運用に失敗し続けていたのですが、この日はIC-705の設定をリセットしたせいか、それとも単に週末だったせいでしょうか、順調にSSBによる交信を重ねることができました。

この日は運が良いことに雲取山で運用中の局とS2S(Summit to Summit)も達成することができました。S2Sは昨年6月の城山で達成して以来だったので、とても嬉しかったです。

梅丘陵ハイキングコース

梅丘陵には全長11kmのハイキングコースが整備されています。青梅丘陵の西側に位置する軍畑駅から雷電山に至る道はまさにそのハイキングコースの途上になります。青梅市観光協会が分かりやすい散策マップを公開しており、それによると全長は11km、参考コースタイムは4時間20分となっています。無線運用後、青梅丘陵の東側にある終着点の青梅駅を目指して歩いてきました。

辛垣城

雷電山から少し歩くと辛垣城(からかいじょう)跡があるので、少し寄り道となりますが寄っていきました。

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現地の説明版によると青梅地方の中世の豪族三田氏の城で、永禄六年(1563年)に北条氏に攻められ落城、三田一族も滅亡したとあります。特にお城の遺構はないのですが、なかなか堅牢な構えのように見えます。

辛垣城を後にして先に進みます。雷電山から辛垣城そしてその先もずっとアップダウンが連続し、ハイキングコースにしてはなかなかハードな行程です。

矢倉台

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雷電山から2時間ほどで矢倉台と呼ばれるところに到着しました。ここは辛垣城の物見櫓があったそうです。

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梅丘陵の西側の登山口(榎峠)から雷電山を経てこの矢倉台まではアップダウンが連続するものの、矢倉台から終着点の青梅へは平坦な道が続きます。だいぶ疲れていたので助かりました。矢倉台からハイキングコース終着点へは40分ほどで到着しました。

青梅鉄道公園

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ハイキングコース終着点から少し歩くと青梅鉄道公園があります。特に鉄道に思い入れがある訳ではないのですが、小学生の時に遠足で訪れた場所でもあったので少し懐かしく寄っていきました。残念ながら休館でしたが、柵越しに機関車を写真に収めてきました。

前回の明神ヶ岳同様、今回もハードな行程でしたが、段々と行動時間・移動距離を伸ばしていきたいと思っているので良いトレーニングとなりました。

使用機材 / 運用記録

■使用機材
・Rig : ICOM IC-705
・Ant : DIAMOND RH770

■運用記録
・144MHz(SSB): 8局
・430MHz(FM): 1局(S2S:1)

SOTA 城山(JA/KN-022)/ 津久井城

神奈川県相模原市にある城山(標高375m)に行きました。この山は北条氏の津久井城があった場所でもあり、SOTAを始める前から一度は訪れたいと思っていました。現在、城山一帯は津久井湖城山公園として整備されています。

アクセス

JR/京王 橋本駅から、「三ヶ木(中野経由)」行きバスで約30分ほどの津久井湖観光センター前で下車します。

城山(JA/KN-022)

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津久井湖観光センター前で下車すると、城山への登山口はすぐ目の前にあります。

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山城なので曲輪と呼ばれる土塁などで区画された区域が残っています。ここは飯縄神社のある飯縄曲輪。

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山頂にある区域は本城曲輪と呼ばれます。

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本城曲輪から一段下がったところでアンテナを設営しました。今回、1200MHz用のアンテナ(SRH951S)は通話品質の安定を狙って三脚に固定してみました。

関東平野に面した方向で設営できなかった為、受信状況はあまりよくありませんでした。ただ、前回同様、SOTAwatch3にスポットしたところ、チェイサーの方々からお声がけを頂けました。

今回、初めてS2S(Summit to Summit)も達成しました。これは別々の山にいるアクティベータ同士が山頂から交信を行うことです。ちょうど同じ時間に陣馬山にいらっしゃったアクティベータの方と交信することができました。この交信でS2Sポイントに加え、チェイサーポイントも得ることができました。これまではアクティベータポイントの獲得を目的にSOTAを楽しんでいましたが、S2Sという新しい楽しみ方が増えました。

使用機材 / 運用記録

■使用機材
・Rig : YAESU FT3D / ALINCO DJ-G7
・Ant : DIAMOND RH770 / SRH951S

■運用記録
・430MHz(FM): 7局
・1200MHz(FM): 2局(S2S:1)

津久井

城山は北条氏の勢力下にあった津久井城と呼ばれる山城が築かれていました。甲斐(現在の山梨)に近いことから、武田氏に対する備えとして重要な役割を担っていたそうです。豊臣秀吉が北条氏を攻めた1590年(天正18年)の小田原征伐で開城し、その後は廃城となりました。

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パークセンターに展示されていた模型です。山頂や尾根に曲輪が設けられているのが分かります。山麓の開けた箇所は根小屋と呼ばれ、城主や家臣の屋敷が置かれていました。

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本城曲輪の前に設けられた堀切。写真では分かりづらいですが、敵が尾根伝いに侵入するのを防ぐために尾根を断ち切るように削られています。

SOTA 観音寺山(JA/SI-058)/ 初めてのSOTA運用 / 観音寺城

昨年11月にアマチュア無線の免許を取得し、ハンディ無線機も購入しました。早速、山に登ってSOTAを楽しもう!と思ったのですが、初めての交信は緊張するものです...。自宅で運用経験を積んでからSOTAに臨もうと計画したのですが、住宅密集地のマンション低層階という立地に加え、窓辺に小さなホイップアンテナという環境では、思うように交信ができませんでした。

いつしかSOTAはもちろん、アマチュア無線からも関心が遠のきかけた頃、お城巡りの一人旅で訪れようと思っていた滋賀県にある観音寺山がSOTA対象の山(JA/SI-058)であることが分かり、十分な経験もないままSOTAに挑戦することにしました。

SOTA(Summits On The Air)とは?

一定の基準に従い選定された山の山頂から無線で交信を行い、標高に応じたポイントを得るというアワードプログラムです。SOTAの本部はイギリスにあり、世界的に活発に活動が行われています。

アワードにはいくつか種類があります。自身が山に登ってポイントを獲得する場合(アクティベータという)、1000ポイントを達成するとMountain Goat (山のヤギ)というステイタスを得ることができます。また、自宅やその他の場所から山頂に居るアクティベーターと交信することによりポイントを獲得する場合(チェイサーという)、同じく1000ポイントでShack Sloth (シャックのナマケモノ)というステイタスを得ることができます。1000ポイントの実現は大変だと思いますが、100, 250, 500, 1000ポイントごとに認定証を発行することができます。

私自身は前述の通り、自宅の環境がアマチュア無線の運用に向いていませんので、アクティベーターとしてSOTAを楽しみ、ライフワークとしてMountain Goat (山のヤギ)を目指していこうと思っています。

観音寺山(JA/SI-058)

観音寺山(繖山(きぬがさやま)とも言う)は滋賀県の琵琶湖の東に位置する標高441mの山です。

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JR安土駅からレンタサイクルで麓の桑実寺会議所に移動して登り始めます。

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低山と侮っていたのですが、久しぶりの登山に加え、最近体重も増え気味で、急で険しい山道にとても苦労しました...。途中で断念しようと思ったくらいです。

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観音寺山の中腹にある桑実寺。写真の本堂は国の重要文化財とのことです。

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道なりに登っていくと観音寺城の本丸跡に着きます。そこから観音正寺方面に下っていくと、山頂へ向かう道が現れます。

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山頂に着きました!早速運用開始です。

なかなか交信できずにいた自宅とはうってかわり、山頂という絶好のロケーションを得て、無事、規定の4局以上の局と交信する事ができました!初めてのSOTA、そして初のポイントゲットという事でとても嬉しかったです!

■無線機器
・Rig : YAESU FT3D
・Ant : DIAMOND SRH770S

■運用記録
・144MHz(FM): 4局
・430MHz(FM): 4局

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その後、観音寺山にあるもう一つのお寺、観音正寺に参詣してきました。

観音寺城

今回の旅行の当初の目的は、観音寺山にある観音寺城を訪れることでした。観音寺城は近江守護六角氏の居城として知られています。戦国時代に六角氏は織田信長に同地を逐われ、以後は廃城になったと考えられています。なお、このお城は日本城郭協会が選定した日本100名城の一つにも選ばれています。

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山頂には今も立派な石垣が残ります。

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観音寺城の大石垣です。観音寺城は中世山城に分類されるのですが、近世城郭のような石垣を備えているのが特徴です。

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近隣にある安土城も訪れ、日本100名城のスタンプも押してきました。

最後に

帰宅後、SOTA DATABASEにログをアップしました。

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1ポイントとわずかなポイントですが、私にとっては大きな一歩となりました。交信頂いた皆さんはとても親切で、慣れないオペレーションにも関わらず素敵な交信を楽しむことができました。まさにアマチュア無線の面白さ・醍醐味を初めて体験することができました。

今回の経験はとても大きな自信となりました。今後、この経験を活かして、東京近郊の山を中心にSOTAの活動を行っていこうと思います。

諏訪高島城

年末年始のまとまったお休みに、どこかお城を訪れたいと計画したのですが、この時期はたいていのお城が休館日となり日本100名城のスタンプが押せません。そんな中、高島城は年末こそお休みでしたが、正月三が日は開館している事を知り、年明け早々訪れる事にしました。

ちょうどこの頃、新田次郎著「武田信玄」を読んでおり、作中で舞台の一つともなっている長野県の諏訪地方を訪れることも楽しみでした。

アクセス

JR上諏訪駅から徒歩約15分程です。

東京からだと特急スーパーあずさを利用する事になるかと思います。時期によってはとても混む路線ですので、指定席の事前予約をすることをお勧めします。

スタンプ設置場所

  • 高島城天守閣資料館一階展示室内

沿革

高島城自体は武田信玄が活躍した時代のお城ではなく、それより後の文禄元年(1592年) に豊臣秀吉の家臣・日根野高吉によって築城されました。日根野高吉は安土城大坂城の築城にも携わったことがあることから、高島城も織豊系城郭として石垣や天守を備えたお城として築かれました。

その後、慶長6年(1601年)に譜代大名の諏訪頼水が2万7千石で入封し、以後、明治維新まで諏訪氏が当地を治める事となり、高島城は諏訪藩の政庁として威容を誇りました。

訪問記

天守閣は昭和45年(1970年)に復興されました。当時の天守閣は屋根に瓦ではなく、檜の薄い板を葺いた柿葺(こけらぶき)だったそうです(復興天守では銅板葺が用いられている)。

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天守閣3階の展望台から望む諏訪湖。当時は城のすぐ傍まで諏訪湖が迫り、湖上に浮いて見えたことから別名「諏訪の浮城」と呼ばれ、日本三大湖城の一つとして数えられたそうです。現在は諏訪湖干拓が進み、水城の面影は失われています。

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館内に展示がありましたが、美しい諏訪湖、そして湖畔に立つ高島城が葛飾北斎などにより浮世絵に描かれています。画像は葛飾北斎富嶽三十六景 信州諏訪湖」(Wikipediaより)。

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小説「武田信玄」では、天文11年(1542年)に武田晴信(信玄)が諏訪領に侵攻し、諏訪家当主の諏訪頼重を自害に追い込みます。これにより諏訪家は滅んだのかと思っていましたが、諏訪頼重の従兄弟に当たる諏訪頼忠により諏訪家は再興し、その子諏訪頼水を初代藩主とする諏訪藩が江戸時代を通じて諏訪地方を治めていことを知り、嬉しい気持ちになりました。

【書評】地の日 天の海

地の日 天の海(上) (角川文庫)

地の日 天の海(上) (角川文庫)

徳川三代に仕え黒衣の宰相として知られる天海僧正ですが、若かりし頃のことは会津出身であること、比叡山で修業したこと程度しか知られていません。「地の日 天の海」は、2006年から2007年にかけて日経夕刊に連載され、信長、秀吉、家康、光秀が活躍する戦国の動乱を随風(後の天海僧正)という僧侶の目を通して描いた小説です。

数々の危機を乗り越え、旧体制を打破するかのような革新的な政策の下、天下布武を推し進める信長。その政権下で感情の機微を捉え現実的で明るい秀吉と、生真面目で旧体制の権威を重んじる光秀という対照的な性格の二人が頭角をあらしていくが、やがて光秀は”本能寺の変”へと追いつめられていく...。

隋風との親交を中心に、戦国の世の変転、そして盛衰が、最新の研究成果を踏まえて生き生きと描かれています。

当時、日経夕刊を読む習慣がなかったのですが、この小説を読みたいが為によく購入し、隋風の活躍に興奮したものです。とても楽しみにしていたのですが、中国大返し辺りで突如連載が終了し、機会があれば最初から最後まで読んでみたい手に取った次第です。歴史小説の好きな方に、これまでとは違った視点で楽しめる良書としてお勧めします。

鑁阿寺(足利氏館)

次に訪れたのは鑁阿寺(ばんなじ)。最寄り駅は足利市駅で、先ほどの太田から電車で11分と近いので、新田金山城と併せて巡る方も多いかと思います。

名前の通りお寺で、境内には国宝の本殿や重文の鐘楼等が残ります。

元々は足利氏の館があったとされ、実際、土塁と堀の遺構が今に残り中世武士の館である方形居館の面影を残しています。

こちらは境内を散策する程度でしたので、あまり時間もかからず見学を終えて帰宅の途につきました。

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お寺なのに堀と土塁に囲まれています。

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楼門から境内に入ります。

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重要文化財の鐘楼。

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本堂は国宝に指定されています。

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立派な大銀杏。樹齢650年とのこと。

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重要文化財の経堂。

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土塁の様子がよく分かる一枚。

新田金山城

一人で気ままに過ごせる時間が増えたことから、関東近郊を中心に日本100名城を集中的に訪れる計画を立てました。まず訪れたのは新田金山城群馬県太田市)です。

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最寄り駅は東武線の太田駅。北千住から特急りょうもうで1時間程度で着きます。駅からはかなり遠く、感覚的に歩いて行ける距離ではないです。タクシーを利用して、まずは金山の麓にある「史跡金山城跡ガイダンス施設」を目指します。

見ての通り、立派な施設です。新国立競技場や高尾山口の駅を手掛けた建築家隈研吾さんの設計とのこと。

展示はコンパクトにまとまっており、新田金山城の概要がよく分かるものでした。1469年(文明元年)に岩松家純により築城され、いくつかの変遷を経て北条氏配下となり整備拡張される。その後、1590年(天正18年) の豊臣秀吉小田原征伐により廃城となる。

なお、ここには100名城スタンプは置いておらず、訪問者は山頂の休憩所を目指さなければなりません(元々、訪れるつもりでしたが)。

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f:id:komo-jp:20171105144029j:plain山頂には車道沿いを歩いていく他、写真にある車道脇の山道を登っても行くことができます。山道には特に道案内もなく分かりづらいのですが、それっぽい道を辿っていくとたどり着くことができました。

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山頂からは太田市が一望できる。ちょっと感動。

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休憩所でスタンプを押した後にまず目に飛び込んでくるのは、印象的な形状をした日の池。新田金山城の象徴的な施設です。説明板によると、生活用水等に用いられたというより、祭祀的な意味合いが強い施設だそうです。

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大手虎口の石垣。土造りの城が多いとされる東日本で、例外的な例としても紹介される新田金山城の特徴ともいえる部分です。

見事な石垣を丁寧に見ていく中、説明板にさりげなく「城郭研究では石垣と石積みは区別して使われる。」との言及があったのですが、この説明は北条氏の城について感じてた事を整理する上で大事なキーワードのように思います。

石垣と石積みの違いについては、「戦国の城」(小和田哲男著・学研新書)に以下のような説明があります。

「では、石積と石垣はどこで線引きされるのだろうか。私は、石垣の場合は、裏込石、すなわち栗石が使われているのに対し、石積はただ石を積みあげただけで、そのちがいを指標にしていたが、中井均氏によると、素人でも積めるのが石積で、石垣ともなると専門の石工、すなわちプロでなければ積めないので、そこで区別するという。たしかに、石垣の場合は「石垣を積む」とはいわず、「石垣を築く」といっているので、その可能性はある。」

今回の新田金山城八王子城等、北条氏の城は基本的には中世山城であり部分的に石積が用いられている、という理解が正しいのではないかと思います。

この後、西矢倉台下堀切などを見学し、下山。次なる目的地、足利氏館(鑁阿寺)に向かいます。